「RED STONE」をここから始めよう!

2016年11月18日

11/18

酒場とフーゾクのあいだには、明確な境界線があると思う。

それは目的がどちらにあるかで分かれる。

酒場はあくまでも酒がメイン。

どんなにオネーサンが色っぽく、大きく開いた胸元から谷間がのぞいてゆさゆさ揺れていたとしても、それは心地よく酒を飲むための雰囲気作りの小道具であるべきだ。

フーゾクの場にも酒はある。

しかし、こちらでは酒のほうが小道具だ。

あるいは、リラックスし、より大胆になるためのドラッグ。

あまり過ぎると本来の目的が達成できなくなることもあったりして。

フーゾクの場で目的を見失うことはあまりないと思うが、酒場では客と店の意識がくいちがうことがままある。

客がフーゾク級のサービスを要求したり、店が客のスケベゴコロを著しく刺激する演出をしたり。

どちらも、なーんかちがうんじゃないの、という気がする。(酒場という舞台に幕が下りたあとのことをどうするかは、腕と交渉次第)

でも、女っけある酒場は、酒場でありながらどこまで限りなくフーゾクに近づけるかというところにおもしろさがあるのも事実。

フーゾクと酒場の境界ギリギリのところで遊びつつ、けっして超えることがないというのが”粋”というものかもしれん。  
Posted by 呑ん兵衛 at 05:14Comments(0)戯言

2016年11月03日

11/3

土瓶蒸しというやつの正しい食し方が、どうもわからん。

あれは、そもそも「汁を飲む」ものなのか、それとも土瓶の中の「具を食う」ものなのか。

「汁を飲みつつ具を食う」と言ってしまえばそれで済みそうだが、それでも釈然としない。

それなら、味噌汁や吸い物のような姿で出てくればいい。

戸惑うのは、土瓶からチョロチョロと汁を注いで飲むというあの仰々しさだ。

あれはいかにも汁を飲むことを目的にしているようである。

しかし、土瓶の中には、松茸をはじめとして色々なご馳走がひしめいている。

ただ単にダシを出すためのものとはとうてい思えん。

あの具どもは、あきらかに食うために入っている、いや、あきらかに食われたがっている、と私には思える。

だとすると、どのようなタイミングでつまめばいいのか。

これまた悩みのタネである。

それと、汁を飲むあのオチョコも問題だ。

オチョコで酒を飲みながら、その合い間に別のオチョコで汁を飲むというのはどことなくマヌケな感じがする。

じゃあ、一個のオチョコで酒と汁を交互に注ぐか…、いや、それはもっとマヌケだ…と、土瓶蒸し問題は、どうにも釈然としないまま続くのである。  
Posted by 呑ん兵衛 at 11:36Comments(0)戯言